ゲームデザイナーの顔写真総覧
フランスのボードゲームのサイト トリック・トラックが一新されました。
前のウェブサイトとまったく形式が変わってしまったため、従来のユーザーには少し困惑するところではありますが、機能が大幅にアップされています。
とくに圧巻は数千人のボードゲームデザイナーの写真が見れることです。
(こちら)をクリック。
その数4800人以上。日本人のデザイナーや在りし日のシドサクソンなどの姿も見つかります。
また写真をクリックすることでデザイナーのホームページなどの情報が表示されます。
ゲームのイラストレイターは(こちら)をクリック。
デザイナーを兼ねている人もいますが、こちらも3000人もいるとは驚きです。
参考:
トリック・トラック(ホームページ)
前のウェブサイトとまったく形式が変わってしまったため、従来のユーザーには少し困惑するところではありますが、機能が大幅にアップされています。
とくに圧巻は数千人のボードゲームデザイナーの写真が見れることです。
(こちら)をクリック。
その数4800人以上。日本人のデザイナーや在りし日のシドサクソンなどの姿も見つかります。
また写真をクリックすることでデザイナーのホームページなどの情報が表示されます。
ゲームのイラストレイターは(こちら)をクリック。
デザイナーを兼ねている人もいますが、こちらも3000人もいるとは驚きです。
参考:
トリック・トラック(ホームページ)
お別れボードゲームパーティー
自分を含め、パリを離れる人のためのお別れボードゲームパーティーに招待されました。
会を主催したのはアメリカ人の女性。場所はイタリア人のアパート。招待された人はみんなボードゲーマーです。
当然のごとく(?)食事の前にゲーム。

最初にプレイしたのはクニッツァの略奪(Loot)。

商船を海に出し、海賊から守りながら無事に目的地にたどり着くことを目指すのがテーマのカードゲーム。

使用するカードは金が描かれた商船と色分けされた海賊船のカード、そしてその色に対応したキャプテン。
場に出された商船のカードに海賊船のカードを出すことで商船を襲います。他の海賊(他のプレイヤー)も同じ商船を襲うことができますが、違う色のカードの海賊船でなければいけません。海賊の強さはカードのドクロの数の合計で決まります。自分の手番まで一番強い状態だったらその商船を自分のものにすることができます。なぜか自分が場に出した商船も自分の出した海賊船のカードで襲うことができます。
獲得した商船のカードに描かれた金の数が得点になるので金の数の多い商船が狙われやすくなります。
自分も商船のカードを場に置くこともあるのでまわりの状況を見つつ、おとりの商船を出して他のプレイヤーに強い海賊船のカードを出させて、後から価値の高い商船を出すという駆け引きも起こります。
ボードゲーマーが塩野七生著の「ローマ亡き後の地中海世界」を読めばとサラセンの海賊とヨーロッパ世界を舞台にしたゲームを作りたくなるかもしれません。中世の地中海世界を知っていたならクニッツァもやはり同じような気になったでしょうか?しかしボードゲームにしてしまうといろいろと支障が生じるでしょう。このカードゲームでは海賊のテーマは維持しつつも歴史的な背景はほとんど感じないようになっています。
食事が終わってプレイしたのは将軍(Shogun)。名前は知っていましたがプレイするのは初めてです。

イタリア人から「ダイスを使わないリスク(Risk)だ」と説明されました。16世紀の日本を舞台に勢力争いをします。
ゲームで使用するキャラクターは武田信玄、徳川家康など実在した人物。
自分が担当するのは羽柴秀吉。でもゲーム開始時は信濃を支配することになりました。信玄を担当するイタリア人からブーイング。
自分の支配する地に兵隊を配置し、さまざまなアクションを実行します。選択肢がいくつもあり、年貢を取って米やお金を摂取する、城や神社を建てるなどアクションがあります。どの支配地域にそれぞれのアクションを割り当てるか秘密裏に決めます。年貢を徴収するとその地の農民の不満がたまります。不満が爆発すると一揆が起こります。もちろん他のプレイヤーとの戦争も起こります。
一揆や戦争が起こると戦闘に参加した駒をダイスタワーみたいなものにいれて勝敗を決めます。入れたものが全部出てくるわけでなくいくつかは中にトラップされて出てきません。したがって前の戦争で中に残っていた駒が出てきたりして予想できないことも起こります。
領土を拡げても、住民に食料を提供することができなければ一揆が起こったりと内政もしっかりしなければいけません。一手のミスでその後、ずっと苦境に陥ることもあり緊張したゲーム展開になります。
戦争で領土を拡大するだけでなく、自分の支配地をしっかりと治めることができなければ自滅するというのは、リスクとは大きな違いだと思うのですがなかなか興味深いゲームでした。
またこのゲーム、英語、イタリア語などだけでなく日本語のルールブックまで入っており、驚きました。

他の人たちはK2をプレイしていました。
この後、予期もしないことが起こりました。

このイタリア人のアパートには畳が敷いてありました。それだけでも驚きですが、なんと将棋も持っていました。そんな彼から勝負を挑まれました。
将棋はもう10年以上やっていません。アメリカやフランスではする機会はおろか知ってる人すらほとんどいませんでしたから。基本的な戦法すら記憶の彼方の状態になっていました。
とはいえ日本人としてここは簡単に負けるわけにはいきません。とりあえず矢倉を組んで様子を見ることに。。と思ったら向こうも矢倉を組んできました。さらに雀刺し!!
どうみてもルールと駒の動きだけ知っているイタリア人ではありません。
結局、向こうのミスで勝つことはできましたが、正直、驚きを通り越してかなり焦りました。また焦った反面、うれしくもありました。

本棚を覗くとなんと日本語の将棋本がいっぱい。道理で。


彼は私以上に日本人かもしれません。
しかし私が驚いたのはこれだけではありませんでした。

「見せたいものがある」といって彼が取り出したのは「どうぶつしょうぎ」。実物を見るのはこれが初めてです。

ひよこの「歩」。

裏返るとニワトリになった「と金」。確かに理屈に適っています。

ここまでそろえているのならもしやとは思いましたが。。。

やはり持っていました。「おおきな森のどうぶつしょうぎ」。

左から香車、桂馬、銀、角、飛車。ちなみに金は犬のイラスト。

裏返して成った駒の図。なぜかえさを食べています。

駒を見て興味を持ったアメリカ人の男性。イタリア人と対局することになりました。

フランスはパリでアメリカ人とイタリア人が「どうぶつしょうぎ」を指す姿を誰が想像したでしょう。
この後はゲームをせず、皆でゲーム談義をして別れの挨拶をしました。
ルールさえわかれば言葉や文化の壁を通り越して皆で楽しめるボードゲーム。今回もそれを実感した日でした。
なんだか日本に関係したゲームばかりして複雑な心境になりましたが、いつかどこかで彼らとまたゲームをできる日があれば、そう思いながら帰途につきました。
会を主催したのはアメリカ人の女性。場所はイタリア人のアパート。招待された人はみんなボードゲーマーです。
当然のごとく(?)食事の前にゲーム。

最初にプレイしたのはクニッツァの略奪(Loot)。

商船を海に出し、海賊から守りながら無事に目的地にたどり着くことを目指すのがテーマのカードゲーム。

使用するカードは金が描かれた商船と色分けされた海賊船のカード、そしてその色に対応したキャプテン。
場に出された商船のカードに海賊船のカードを出すことで商船を襲います。他の海賊(他のプレイヤー)も同じ商船を襲うことができますが、違う色のカードの海賊船でなければいけません。海賊の強さはカードのドクロの数の合計で決まります。自分の手番まで一番強い状態だったらその商船を自分のものにすることができます。なぜか自分が場に出した商船も自分の出した海賊船のカードで襲うことができます。
獲得した商船のカードに描かれた金の数が得点になるので金の数の多い商船が狙われやすくなります。
自分も商船のカードを場に置くこともあるのでまわりの状況を見つつ、おとりの商船を出して他のプレイヤーに強い海賊船のカードを出させて、後から価値の高い商船を出すという駆け引きも起こります。
ボードゲーマーが塩野七生著の「ローマ亡き後の地中海世界」を読めばとサラセンの海賊とヨーロッパ世界を舞台にしたゲームを作りたくなるかもしれません。中世の地中海世界を知っていたならクニッツァもやはり同じような気になったでしょうか?しかしボードゲームにしてしまうといろいろと支障が生じるでしょう。このカードゲームでは海賊のテーマは維持しつつも歴史的な背景はほとんど感じないようになっています。
食事が終わってプレイしたのは将軍(Shogun)。名前は知っていましたがプレイするのは初めてです。

イタリア人から「ダイスを使わないリスク(Risk)だ」と説明されました。16世紀の日本を舞台に勢力争いをします。
ゲームで使用するキャラクターは武田信玄、徳川家康など実在した人物。
自分が担当するのは羽柴秀吉。でもゲーム開始時は信濃を支配することになりました。信玄を担当するイタリア人からブーイング。
自分の支配する地に兵隊を配置し、さまざまなアクションを実行します。選択肢がいくつもあり、年貢を取って米やお金を摂取する、城や神社を建てるなどアクションがあります。どの支配地域にそれぞれのアクションを割り当てるか秘密裏に決めます。年貢を徴収するとその地の農民の不満がたまります。不満が爆発すると一揆が起こります。もちろん他のプレイヤーとの戦争も起こります。
一揆や戦争が起こると戦闘に参加した駒をダイスタワーみたいなものにいれて勝敗を決めます。入れたものが全部出てくるわけでなくいくつかは中にトラップされて出てきません。したがって前の戦争で中に残っていた駒が出てきたりして予想できないことも起こります。
領土を拡げても、住民に食料を提供することができなければ一揆が起こったりと内政もしっかりしなければいけません。一手のミスでその後、ずっと苦境に陥ることもあり緊張したゲーム展開になります。
戦争で領土を拡大するだけでなく、自分の支配地をしっかりと治めることができなければ自滅するというのは、リスクとは大きな違いだと思うのですがなかなか興味深いゲームでした。
またこのゲーム、英語、イタリア語などだけでなく日本語のルールブックまで入っており、驚きました。

他の人たちはK2をプレイしていました。
この後、予期もしないことが起こりました。

このイタリア人のアパートには畳が敷いてありました。それだけでも驚きですが、なんと将棋も持っていました。そんな彼から勝負を挑まれました。
将棋はもう10年以上やっていません。アメリカやフランスではする機会はおろか知ってる人すらほとんどいませんでしたから。基本的な戦法すら記憶の彼方の状態になっていました。
とはいえ日本人としてここは簡単に負けるわけにはいきません。とりあえず矢倉を組んで様子を見ることに。。と思ったら向こうも矢倉を組んできました。さらに雀刺し!!
どうみてもルールと駒の動きだけ知っているイタリア人ではありません。
結局、向こうのミスで勝つことはできましたが、正直、驚きを通り越してかなり焦りました。また焦った反面、うれしくもありました。

本棚を覗くとなんと日本語の将棋本がいっぱい。道理で。


彼は私以上に日本人かもしれません。
しかし私が驚いたのはこれだけではありませんでした。

「見せたいものがある」といって彼が取り出したのは「どうぶつしょうぎ」。実物を見るのはこれが初めてです。

ひよこの「歩」。

裏返るとニワトリになった「と金」。確かに理屈に適っています。

ここまでそろえているのならもしやとは思いましたが。。。

やはり持っていました。「おおきな森のどうぶつしょうぎ」。

左から香車、桂馬、銀、角、飛車。ちなみに金は犬のイラスト。

裏返して成った駒の図。なぜかえさを食べています。

駒を見て興味を持ったアメリカ人の男性。イタリア人と対局することになりました。

フランスはパリでアメリカ人とイタリア人が「どうぶつしょうぎ」を指す姿を誰が想像したでしょう。
この後はゲームをせず、皆でゲーム談義をして別れの挨拶をしました。
ルールさえわかれば言葉や文化の壁を通り越して皆で楽しめるボードゲーム。今回もそれを実感した日でした。
なんだか日本に関係したゲームばかりして複雑な心境になりましたが、いつかどこかで彼らとまたゲームをできる日があれば、そう思いながら帰途につきました。
友人宅でゲーム会
フランス人から彼の自宅のゲーム会に呼ばれました。
最初にプレイしたのはレ・コロック(Les Colocs)。

コロックとはコロカテール(colocataire)の略でルームメイトを指すフランス語です。

各人、能力や収入の違ったキャラを担当し、いかに「時間を無駄に過ごすか」を競います。

マンチキンライクなゲームですがフランス語のスラングが数多く使われており、フランス語の勉強にはなります。
次にプレイしたのは七王国の玉座(A Game of Thrones, 仏題:Le Trône de Fer)。ジョージ・R・R・マーティンの本をもとにしており、「七王国の玉座」は「氷と炎の歌(A Song of Ice and Fire)」の第一作のタイトル。ボードゲームの邦題も仏題も原作のタイトルに準じています。
一年ほど前にプレイしたのですが、ルールを忘れて再確認。
騎士と海軍など配置し、戦争や領地の拡大を目指します。相手の動向を見ながら移動や援軍その他のアクションをするチップを裏側にしてマップ上に配置し、全員がチップを置き終わったらチップを表にしてアクションをします。相手のいる領地に攻め込むと戦争となります。
戦争は手持ちのカードを選んで勝負します。事前に相手のカードを確認できるので相手がどのカードを出してくるかの読み合いになります。負けても自分の別の土地に移動できれば撤退できるので、駒が全滅するということはありません。それゆえ被害は自分の占領地を獲られカードを一枚消費するだけなので、一度の戦争で負けたからといって全く取り返しがつかなくなるというわけではないです。
この他に様々なイベントや、順番を決めるアクション等複数の要素があります。

マップには5国あり、スタート時で地理、配置、その他の条件が異なります。とくに序盤は基盤固めといきたいところですが、積極的に攻めていかないとすぐに差がついてしまいます。
各国毎に独自の戦略、戦術を考えることになります。したがって、そういった事情を熟知すると当然強くなり、やり込めばやり込むほど面白くなっていくゲームの一つといえるでしょう。
ただ裏を返せば一人でも初心者がいると序盤からゲーム全体の均衡が崩れてしまい、その点は注意する必要があります。
ゲーム開始から3時間ほど経って帰らなければならない人が出たので途中で終了。所有者の優勢勝ちということにしました。
最後にプレイしたのはマグブラスト(第3版)(Mag•Blast) 。
宇宙戦艦や空母を駆使して相手の母船を沈め合うカードゲーム。

カードには宇宙船のカードと攻撃手段のカードと2種類あり、宇宙船のカードを自分の母船の上下左右に配置した後、手札の攻撃手段のカードを使って相手の戦艦等を攻撃します。
自分の母船の右側に配置した戦艦は相手の母船の右側に配置した艦船を攻撃することができます。

右側のカードが自分の母船。上述したように左に配置された宇宙船は他のプレイヤーの母船の左側からの攻撃を受けます。
艦船の中には位置を動かすこともできるのもあるので味方の戦艦(ふね)をどう配置し母船を護るか、また相手にどう攻撃するか相手の配置状況と見比べて戦況を変えていきます。
空母を配置していないと戦闘機や爆撃機が使えない、爆撃機は戦闘機に弱い等、理屈に合ったルールである反面、クリティカルヒット一発で装甲のある戦艦が一瞬で沈んでしまうなど理不尽なことはありますが、宇宙戦争をテーマとした軽いカードゲームでアメリカ人が好みそうな仕様といえるでしょう。
日が暮れて来たのでこれでお開き。またプレイすることを約束して別れました。
最初にプレイしたのはレ・コロック(Les Colocs)。

コロックとはコロカテール(colocataire)の略でルームメイトを指すフランス語です。

各人、能力や収入の違ったキャラを担当し、いかに「時間を無駄に過ごすか」を競います。

マンチキンライクなゲームですがフランス語のスラングが数多く使われており、フランス語の勉強にはなります。
次にプレイしたのは七王国の玉座(A Game of Thrones, 仏題:Le Trône de Fer)。ジョージ・R・R・マーティンの本をもとにしており、「七王国の玉座」は「氷と炎の歌(A Song of Ice and Fire)」の第一作のタイトル。ボードゲームの邦題も仏題も原作のタイトルに準じています。
一年ほど前にプレイしたのですが、ルールを忘れて再確認。
騎士と海軍など配置し、戦争や領地の拡大を目指します。相手の動向を見ながら移動や援軍その他のアクションをするチップを裏側にしてマップ上に配置し、全員がチップを置き終わったらチップを表にしてアクションをします。相手のいる領地に攻め込むと戦争となります。
戦争は手持ちのカードを選んで勝負します。事前に相手のカードを確認できるので相手がどのカードを出してくるかの読み合いになります。負けても自分の別の土地に移動できれば撤退できるので、駒が全滅するということはありません。それゆえ被害は自分の占領地を獲られカードを一枚消費するだけなので、一度の戦争で負けたからといって全く取り返しがつかなくなるというわけではないです。
この他に様々なイベントや、順番を決めるアクション等複数の要素があります。

マップには5国あり、スタート時で地理、配置、その他の条件が異なります。とくに序盤は基盤固めといきたいところですが、積極的に攻めていかないとすぐに差がついてしまいます。
各国毎に独自の戦略、戦術を考えることになります。したがって、そういった事情を熟知すると当然強くなり、やり込めばやり込むほど面白くなっていくゲームの一つといえるでしょう。
ただ裏を返せば一人でも初心者がいると序盤からゲーム全体の均衡が崩れてしまい、その点は注意する必要があります。
ゲーム開始から3時間ほど経って帰らなければならない人が出たので途中で終了。所有者の優勢勝ちということにしました。
最後にプレイしたのはマグブラスト(第3版)(Mag•Blast) 。
宇宙戦艦や空母を駆使して相手の母船を沈め合うカードゲーム。

カードには宇宙船のカードと攻撃手段のカードと2種類あり、宇宙船のカードを自分の母船の上下左右に配置した後、手札の攻撃手段のカードを使って相手の戦艦等を攻撃します。
自分の母船の右側に配置した戦艦は相手の母船の右側に配置した艦船を攻撃することができます。

右側のカードが自分の母船。上述したように左に配置された宇宙船は他のプレイヤーの母船の左側からの攻撃を受けます。
艦船の中には位置を動かすこともできるのもあるので味方の戦艦(ふね)をどう配置し母船を護るか、また相手にどう攻撃するか相手の配置状況と見比べて戦況を変えていきます。
空母を配置していないと戦闘機や爆撃機が使えない、爆撃機は戦闘機に弱い等、理屈に合ったルールである反面、クリティカルヒット一発で装甲のある戦艦が一瞬で沈んでしまうなど理不尽なことはありますが、宇宙戦争をテーマとした軽いカードゲームでアメリカ人が好みそうな仕様といえるでしょう。
日が暮れて来たのでこれでお開き。またプレイすることを約束して別れました。
帰国のお知らせ
6年弱滞在したパリも今年で離れ、日本に帰国することになりました。
今後、ブログを具体的にどうするかは未定ですが、パリの風景に関することや、フランスにおけるボードゲーム事情などについてアップを続けていこうかと思います。
フランス現地の情報はこれからは記事にすることができなくなりますが、ブログを訪ねてくださった方、コメントを残してくれた方に改めてお礼申し上げます。
usalapbit
今後、ブログを具体的にどうするかは未定ですが、パリの風景に関することや、フランスにおけるボードゲーム事情などについてアップを続けていこうかと思います。
フランス現地の情報はこれからは記事にすることができなくなりますが、ブログを訪ねてくださった方、コメントを残してくれた方に改めてお礼申し上げます。
usalapbit
サント・マルグリット教会とルイ17世の墓?
ヴァレンヌ逃亡事件を起こした国王一家はパリに連れ戻された後、タンプル塔に幽閉されます。その中にマリー・アントワネットの息子、ルイ=シャルルがいました。
1793年、ルイ16世が処刑されるとシャルルはルイ17世となりましたが、劣悪な環境下、病気になり、タンプル塔で10歳の短い生涯を閉じました。その遺体は心臓を摘出された後、秘密裏に埋葬されました。
しかしアナスタシアのように、実はルイ17世はテンプル塔を脱出して死を逃れ、「われこそはルイ17世である」という偽者が何十人も後に出現します。その中でもカール・ヴィルヘルム・ナウンドルフという人物が有名です
ルイ17世は本当にタンプル塔で死んだのか、それとも生き延びていたのか。謎が残されました。

バスチーユ広場からそれほど遠くないところにサント・マルグリット教会があります。

教会の内部。丸みを帯びた天井と円窓。






見事な彫刻、絵画、そしてステンドグラス。

サント・マルグリット


1805年にはローマ法王ピウス7世が訪れています。

この教会で見ておくべき物の一つに煉獄の霊魂の礼拝堂があります。

だまし絵(trompe-l'œil)で知られるPaolo Antoni Brunettiによる見事な装飾。

かつて教会の隣にはサント・マルグリット墓地があり、恐怖政治時代、ギロチン台に送られた多くの人がここへ埋葬されました。タンプル塔で亡くなったルイ17世もここに埋葬されたといわれています。
この教会の外には小さな方庭があります。教会の人に話を聞くとルイ17世の墓があるというので見せてもらうことにしました。

扉を開けてもらって外に出ます。

少し歩くと方庭がありました。


王家の墓ならさぞ大きくて立派な墓碑だろうと思って探してみるとそれらしいものはまったく見当たりません。

小さな十字架を覗き込んでみると。。。

ルイ17世(1785-1795)と彫ってありました。これに間違いありません。
実は1846年にこの墓を掘り起こして遺骨を調べると推定年齢は15〜18歳くらいだったそうです。このために多くの憶測を呼びました。ルイ17世はタンプル塔で死んでいなかった、だれかとすり替わっていたのだ。あるいは彼はとっくに死んでいた。スキャンダルを恐れて後になって別人の死体を使って葬儀をしたのだ。等。。
「ルイ17世はタンプル塔で死んだのか、それとも生き延びたのか」
この謎は数百年を経た現代、DNA解析によって解明されました
2000年にタンプル塔で取り出された少年の心臓とマリーアントワネット等の遺髪、そしてナウンドルフの遺髪や遺骨などを調べ、その塩基配列を比較した結果、タンプル塔で取り出された少年の心臓がルイ17世のものであることが確定的となりました。
これによりやはりルイ17世はタンプル塔で亡くなったという結論がでました。心臓は2004年、サン=ドニ大聖堂に納められました。

しかしまだ一つ疑問が残されています。

ここに眠っているのは一体誰なのかはいまだに謎のままなのです。
サント・マルグリット教会
36 rue St Bernard
メトロ8番線ルドュリュ・ロラン(Ledru-Rolin)駅から徒歩5分
参考:
ルイ17世のDNA鑑定
1793年、ルイ16世が処刑されるとシャルルはルイ17世となりましたが、劣悪な環境下、病気になり、タンプル塔で10歳の短い生涯を閉じました。その遺体は心臓を摘出された後、秘密裏に埋葬されました。
しかしアナスタシアのように、実はルイ17世はテンプル塔を脱出して死を逃れ、「われこそはルイ17世である」という偽者が何十人も後に出現します。その中でもカール・ヴィルヘルム・ナウンドルフという人物が有名です
ルイ17世は本当にタンプル塔で死んだのか、それとも生き延びていたのか。謎が残されました。

バスチーユ広場からそれほど遠くないところにサント・マルグリット教会があります。

教会の内部。丸みを帯びた天井と円窓。






見事な彫刻、絵画、そしてステンドグラス。

サント・マルグリット


1805年にはローマ法王ピウス7世が訪れています。

この教会で見ておくべき物の一つに煉獄の霊魂の礼拝堂があります。

だまし絵(trompe-l'œil)で知られるPaolo Antoni Brunettiによる見事な装飾。

かつて教会の隣にはサント・マルグリット墓地があり、恐怖政治時代、ギロチン台に送られた多くの人がここへ埋葬されました。タンプル塔で亡くなったルイ17世もここに埋葬されたといわれています。
この教会の外には小さな方庭があります。教会の人に話を聞くとルイ17世の墓があるというので見せてもらうことにしました。

扉を開けてもらって外に出ます。

少し歩くと方庭がありました。


王家の墓ならさぞ大きくて立派な墓碑だろうと思って探してみるとそれらしいものはまったく見当たりません。

小さな十字架を覗き込んでみると。。。

ルイ17世(1785-1795)と彫ってありました。これに間違いありません。
実は1846年にこの墓を掘り起こして遺骨を調べると推定年齢は15〜18歳くらいだったそうです。このために多くの憶測を呼びました。ルイ17世はタンプル塔で死んでいなかった、だれかとすり替わっていたのだ。あるいは彼はとっくに死んでいた。スキャンダルを恐れて後になって別人の死体を使って葬儀をしたのだ。等。。
「ルイ17世はタンプル塔で死んだのか、それとも生き延びたのか」
この謎は数百年を経た現代、DNA解析によって解明されました
2000年にタンプル塔で取り出された少年の心臓とマリーアントワネット等の遺髪、そしてナウンドルフの遺髪や遺骨などを調べ、その塩基配列を比較した結果、タンプル塔で取り出された少年の心臓がルイ17世のものであることが確定的となりました。
これによりやはりルイ17世はタンプル塔で亡くなったという結論がでました。心臓は2004年、サン=ドニ大聖堂に納められました。

しかしまだ一つ疑問が残されています。

ここに眠っているのは一体誰なのかはいまだに謎のままなのです。
サント・マルグリット教会
36 rue St Bernard
メトロ8番線ルドュリュ・ロラン(Ledru-Rolin)駅から徒歩5分
参考:
ルイ17世のDNA鑑定
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