サント・マルグリット教会とルイ17世の墓?
ヴァレンヌ逃亡事件を起こした国王一家はパリに連れ戻された後、タンプル塔に幽閉されます。その中にマリー・アントワネットの息子、ルイ=シャルルがいました。
1793年、ルイ16世が処刑されるとシャルルはルイ17世となりましたが、劣悪な環境下、病気になり、タンプル塔で10歳の短い生涯を閉じました。その遺体は心臓を摘出された後、秘密裏に埋葬されました。
しかしアナスタシアのように、実はルイ17世はテンプル塔を脱出して死を逃れ、「われこそはルイ17世である」という偽者が何十人も後に出現します。その中でもカール・ヴィルヘルム・ナウンドルフという人物が有名です
ルイ17世は本当にタンプル塔で死んだのか、それとも生き延びていたのか。謎が残されました。

バスチーユ広場からそれほど遠くないところにサント・マルグリット教会があります。

教会の内部。丸みを帯びた天井と円窓。






見事な彫刻、絵画、そしてステンドグラス。

サント・マルグリット


1805年にはローマ法王ピウス7世が訪れています。

この教会で見ておくべき物の一つに煉獄の霊魂の礼拝堂があります。

だまし絵(trompe-l'œil)で知られるPaolo Antoni Brunettiによる見事な装飾。

かつて教会の隣にはサント・マルグリット墓地があり、恐怖政治時代、ギロチン台に送られた多くの人がここへ埋葬されました。タンプル塔で亡くなったルイ17世もここに埋葬されたといわれています。
この教会の外には小さな方庭があります。教会の人に話を聞くとルイ17世の墓があるというので見せてもらうことにしました。

扉を開けてもらって外に出ます。

少し歩くと方庭がありました。


王家の墓ならさぞ大きくて立派な墓碑だろうと思って探してみるとそれらしいものはまったく見当たりません。

小さな十字架を覗き込んでみると。。。

ルイ17世(1785-1795)と彫ってありました。これに間違いありません。
実は1846年にこの墓を掘り起こして遺骨を調べると推定年齢は15〜18歳くらいだったそうです。このために多くの憶測を呼びました。ルイ17世はタンプル塔で死んでいなかった、だれかとすり替わっていたのだ。あるいは彼はとっくに死んでいた。スキャンダルを恐れて後になって別人の死体を使って葬儀をしたのだ。等。。
「ルイ17世はタンプル塔で死んだのか、それとも生き延びたのか」
この謎は数百年を経た現代、DNA解析によって解明されました
2000年にタンプル塔で取り出された少年の心臓とマリーアントワネット等の遺髪、そしてナウンドルフの遺髪や遺骨などを調べ、その塩基配列を比較した結果、タンプル塔で取り出された少年の心臓がルイ17世のものであることが確定的となりました。
これによりやはりルイ17世はタンプル塔で亡くなったという結論がでました。心臓は2004年、サン=ドニ大聖堂に納められました。

しかしまだ一つ疑問が残されています。

ここに眠っているのは一体誰なのかはいまだに謎のままなのです。
サント・マルグリット教会
36 rue St Bernard
メトロ8番線ルドュリュ・ロラン(Ledru-Rolin)駅から徒歩5分
参考:
ルイ17世のDNA鑑定
1793年、ルイ16世が処刑されるとシャルルはルイ17世となりましたが、劣悪な環境下、病気になり、タンプル塔で10歳の短い生涯を閉じました。その遺体は心臓を摘出された後、秘密裏に埋葬されました。
しかしアナスタシアのように、実はルイ17世はテンプル塔を脱出して死を逃れ、「われこそはルイ17世である」という偽者が何十人も後に出現します。その中でもカール・ヴィルヘルム・ナウンドルフという人物が有名です
ルイ17世は本当にタンプル塔で死んだのか、それとも生き延びていたのか。謎が残されました。

バスチーユ広場からそれほど遠くないところにサント・マルグリット教会があります。

教会の内部。丸みを帯びた天井と円窓。






見事な彫刻、絵画、そしてステンドグラス。

サント・マルグリット


1805年にはローマ法王ピウス7世が訪れています。

この教会で見ておくべき物の一つに煉獄の霊魂の礼拝堂があります。

だまし絵(trompe-l'œil)で知られるPaolo Antoni Brunettiによる見事な装飾。

かつて教会の隣にはサント・マルグリット墓地があり、恐怖政治時代、ギロチン台に送られた多くの人がここへ埋葬されました。タンプル塔で亡くなったルイ17世もここに埋葬されたといわれています。
この教会の外には小さな方庭があります。教会の人に話を聞くとルイ17世の墓があるというので見せてもらうことにしました。

扉を開けてもらって外に出ます。

少し歩くと方庭がありました。


王家の墓ならさぞ大きくて立派な墓碑だろうと思って探してみるとそれらしいものはまったく見当たりません。

小さな十字架を覗き込んでみると。。。

ルイ17世(1785-1795)と彫ってありました。これに間違いありません。
実は1846年にこの墓を掘り起こして遺骨を調べると推定年齢は15〜18歳くらいだったそうです。このために多くの憶測を呼びました。ルイ17世はタンプル塔で死んでいなかった、だれかとすり替わっていたのだ。あるいは彼はとっくに死んでいた。スキャンダルを恐れて後になって別人の死体を使って葬儀をしたのだ。等。。
「ルイ17世はタンプル塔で死んだのか、それとも生き延びたのか」
この謎は数百年を経た現代、DNA解析によって解明されました
2000年にタンプル塔で取り出された少年の心臓とマリーアントワネット等の遺髪、そしてナウンドルフの遺髪や遺骨などを調べ、その塩基配列を比較した結果、タンプル塔で取り出された少年の心臓がルイ17世のものであることが確定的となりました。
これによりやはりルイ17世はタンプル塔で亡くなったという結論がでました。心臓は2004年、サン=ドニ大聖堂に納められました。

しかしまだ一つ疑問が残されています。

ここに眠っているのは一体誰なのかはいまだに謎のままなのです。
サント・マルグリット教会
36 rue St Bernard
メトロ8番線ルドュリュ・ロラン(Ledru-Rolin)駅から徒歩5分
参考:
ルイ17世のDNA鑑定
パリの対戦格闘ゲームセンター
レピュブリック広場から放射線に広がる道路。その一つにヴォルテール通りがあります。


この通りには日本のアニメやゲーム関連を扱った店が並んでいます。


日本人にとって懐かしのアニメから最近のアニメまで

その一つ、SQUARE GAMESという店ではゲームを売っているだけでなく、日本のアーケードゲームを実際にプレイして楽しむことが出来ます。

受付で3ユーロ(2013年3月現在)払って地下に降りるとその光景は日本のゲームセンター。フリープレイで閉店時間まで好きに遊ぶことが出来ます。

置いてあるのは日本の格闘ゲームの筐体。または北米向けの英語バージョン。すべて格闘ゲームです。


ストリートファイターIVなど最近のゲームも設置されています。

往年の名作スーパーストリートファイターIIX
日本を離れてから格闘ゲームとはしばらく縁がありませんが、懐かしさのあまり思わずプレイをしていると、フランス人に勝負を挑まれることがあります。
まあ大抵は勝てるのですが、たまに異常に強いバイソン使いとか、ハメ技を極めたT・ホーク使いとかがいて驚きます。多段コンボを極めたりとどうみても対戦攻略の研究をしているフランス人です。
彼らの中にはときどき日本語で話しかけてくる人もいます。聞けば日本で1、2年ほど仕事をしていた、というからこれまた驚きです。

日本のマンガはフランスで人気ですが、テレビゲームにおいてもフランス人の心を捉えているようです。
SQUARE GAMES
5 boulevard Voltaire 75011 Paris
メトロ3、5、8、9、11番線レピュブリック(Républic)駅またはメトロ5、9番線オベルカンフ(Oberkampf)駅から徒歩2分
参考:
パリのゲームセンター


この通りには日本のアニメやゲーム関連を扱った店が並んでいます。


日本人にとって懐かしのアニメから最近のアニメまで

その一つ、SQUARE GAMESという店ではゲームを売っているだけでなく、日本のアーケードゲームを実際にプレイして楽しむことが出来ます。

受付で3ユーロ(2013年3月現在)払って地下に降りるとその光景は日本のゲームセンター。フリープレイで閉店時間まで好きに遊ぶことが出来ます。

置いてあるのは日本の格闘ゲームの筐体。または北米向けの英語バージョン。すべて格闘ゲームです。


ストリートファイターIVなど最近のゲームも設置されています。

往年の名作スーパーストリートファイターIIX
日本を離れてから格闘ゲームとはしばらく縁がありませんが、懐かしさのあまり思わずプレイをしていると、フランス人に勝負を挑まれることがあります。
まあ大抵は勝てるのですが、たまに異常に強いバイソン使いとか、ハメ技を極めたT・ホーク使いとかがいて驚きます。多段コンボを極めたりとどうみても対戦攻略の研究をしているフランス人です。
彼らの中にはときどき日本語で話しかけてくる人もいます。聞けば日本で1、2年ほど仕事をしていた、というからこれまた驚きです。

日本のマンガはフランスで人気ですが、テレビゲームにおいてもフランス人の心を捉えているようです。
SQUARE GAMES
5 boulevard Voltaire 75011 Paris
メトロ3、5、8、9、11番線レピュブリック(Républic)駅またはメトロ5、9番線オベルカンフ(Oberkampf)駅から徒歩2分
参考:
パリのゲームセンター
断頭台の足跡

ロケット通り(Rue de la Roquette)とクロワ=フォバン通り(Rue de la Croix-Faubin)の角に奇妙な長方形の石が五つ、斜め十字に埋められています。

かつてここにはロケット収容所があり、収容所の入り口の前にはギロチン台が設置されました。これらはギロチン台を支える敷石です。
このロケット収容所はまたの名を「五つ石の大修道院 L'abbaye de cinq pierres ラベイ・ドゥ・サンク・ピエール[St. Pierre サン・ピエール(聖ペテロ)に掛けていると思われる]」と呼ばれていました。

1899年刑務所が閉鎖され、翌年取り壊されることになりました。刑務所側はこれらの敷石を取り出し、カルナバレ博物館に売ろうとしたところ、博物館側が興味を示さず、結局もとの場所に移すことになったのですが、その際、十字に配置されていた敷石を斜め十字に配置してしまったとのことです。

ロケット通りを挟んで向かいには公園があります。この公園にはかつて女性刑務所(小ロケット刑務所La Petite Roquette)がありました。

刑務所は1974年に取り壊され公園になりましたが、入り口のポーチだけが保存され、今は市民を誘う公園の門になっています。
ギロチン台の敷石
16 Rue de la Croix-Faubin
メトロ2番線フィリップ=オーギュスト(Philipe Auguste)から徒歩5分またはメトロ9番線ヴォルテール(Voltaire)駅から徒歩5分
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